改めて考えてみると「立憲的改憲」というのは、
些(いささ)か奇妙な言葉だろう。
と言うのは、普通の憲法
(憲法学で言う“立憲主義的意味の憲法”又は
“近代的意味の憲法”)を採用している国では、
その改正は立憲主義的(国民の権利を保障する為に、
権力の濫用を“制限”し、その枠内で正統化し“授権”する)
に行われるのが、“当たり前”だろう。
「憲法改正とは、憲法典に定められた特別の
手続(てつづき)を踏んで憲法を修正することであり、
その点で、憲法典に定められた手続を踏まずに憲法の
意味内容を変更する憲法変遷とは異なる。
憲法典も、特定の目的を実現するために作りだされた
一種の社会技術であり、道具である。
道具が、当初の目論見どおり働かなかったり、
あるいは目的自体が変わった場合には、
道具としての憲法典を修正する必要が生ずる」
(長谷部恭男氏『憲法〔第5版〕』)
その場合、“非”立憲的改憲という選択肢は
初めからあり得ないはずだ。
そうであれば、ことさら「立憲的」などと
銘打って改憲を提起するのは、本来なら変だ。
「丸い玉」「黒い黒板」みたいな重複表現ではないか。
そう受け止められるかも知れない。
しかし、わが国の憲法を巡る状況は極めて特殊。
敗戦後、被占領下に帝国憲法の「改正」という形式で、
事実上、占領軍によって“押し付け”られた
(この複雑さは同じ敗戦国のドイツとも異なる)。
その「出自」の特殊性が、
その後の憲法論議の行方を大きく規定した。
悲惨な敗戦を“原点”として、
「平和と民主主義」の大切さを訴える護憲派が生まれた。
その対極には、憲法を押し付けられた事実を批判して、
「自主独立」の回復を求める改憲派も現れた
(近年の、自主独立への志さえ忘れ果てたような者らは、
もはや改憲派とは呼べないだろう)。
両者の間には建設的、生産的な論争は
殆ど期待出来なかった。
そこでは、「立憲的」改憲という
憲法改正の“常道”など、全く視野にも入らなかった。
だが、平和と民主主義を擁護する為には、
自主独立の回復が欠かせない。
あるいは、自主独立の回復を目指す上でも、
平和と民主主義はかけがえの無い価値だ。
その双方の価値を「統合」的に実現できる、
恐らく唯一の道筋が、実は最も“ありふれた”
「立憲的」改憲だった。
ここに、わが国で敢えて「立憲的」
と冠した改憲論が登場した、歴史的な意味がある。